おやじギャグを言う人間の心理

 

「ふとんがふっとんだ」

 

おやじギャグの元祖、誰もが知っている代表的なおやじギャグである。

おやじギャグ界のペレ、もしくはベーブルースと言ったところか。

他のペレ級のおやじギャグとして、「電話に誰もでんわ」「アルミ缶の上にアルミ缶」などの例が、すぐさま思いつく。

 

考えてみれば、おやじギャグ、どこに面白さを見出せば良いのかわからない。

同音異義語を1つ文章の中に意味のあるよう当てはめた、ただそれだけ。所謂くだらないお笑いってヤツである。

 

しかし、この社会にはおやじギャグばかり言っている人間が一定数、存在する。

もしや、社会の中でわたしだけがおやじギャグの面白さを理解していないのか?いや、そうじゃ無いでしょ。

その理由は「おやじギャグ」という呼び名の「おやじ」の部分から明らかである。おやじってのは結局、おっさんと同じ意味。

おっさん、社会から嫌われているでしょ?

 

だから、おやじギャグは社会からそれほど良い印象を抱かれていないんじゃないか?と、わたしは思うわけ。

何とも不名誉なネーミングである。ぴえん。

 

おっさんが嫌われている理由はこの記事を参照。

happylucky77.hatenablog.com

 

そこで私にはひとつ疑問が生じた。

おやじギャグを言う人間の心理って何なん?

だって、面白くないんだよ!面白くないギャグを繰り返す人間、よくわからんでしょ。

 

てなわけで、わたしはおやじギャグを言う人間の心理について、少しばかり考えてみることにした。 

疑問が生じたら考察を加える。当然の流れ。

これぞまさしく当たり前田のクラッカー。ガハハ。

 

 

おやじギャグを言ってしまう動機

 

おやじギャグ、どう考えてもやっぱり面白くない。

大事なことなので沢山言うことにしました。許せサスケ。

布団が吹っ飛んだ?だからどうした。

 

だから、視点を変えておやじギャグを言ってしまう動機について、わたしは考えてみることにした。

まあ、当の本人らはそんな深いこと考えてはいないだろうけど。

 

ところで、おやじギャグを言ってしまう動機ってのはおそらく創作と関係している

創作欲は人間の本能だからね。

創作が嫌いって人はきっと完成を目指す作品に対しての理想が高すぎるだけだよ。

 

何かを作るって基本的には面白い作業なんですよ。

もっとも、何かを作る作業を面白いと感じていたとしても、その作業によって作り出された作品が面白くあるとは限らない。

しかし、作品を完成させたからには周りの人間に見てもらいたい気持ちあるよね?

 

つまり、おやじギャグを言ってしまう動機ってのも同じで、ふと閃いてしまったおやじギャグ、みんなと共有したい!という気持ちにあるのではないか?との仮説が立つ。

内容が面白いか否かなんて関係ない、ただシェアしたいだけ。

おやじギャグを閃いた時点でもう楽しいのである。

そのように考えると、おやじギャグを言う本人は楽しそうで聞かされた側は失笑するしかない、という状況がよく発生するってのも理屈が通る。

 

こりゃあ、上手くいかないわけだ。 

 

選ばれたのはおやじギャグでした

 

創作ってその作業から得られる満足感は大きいものの、時間がかかったり一定のテクニックが必要だったりする。

そのため、創作欲が人間の本能であるにもかかわらず、ある程度避けられがちであると。

 

しかし、おやじギャグは誰でも閃きで簡単に、秒で作ることが出来る。

何らかのテクニックも必要ない。しかも思いついた途端、すぐさま世に送り出すことが出来る。

なんてお手軽なんだ、おやじギャグ。そりゃあ、数も重なるわけですわ。

 

そういわけで、おやじギャグを言うことは人間の本能である創作欲を簡単に満すための手段なのではないか?という仮説もたつ。

創作欲を満たすため選ばれたのはおやじギャグでした、というわけ。

 

しかも、人間は年を重ねるに連れ、ある言葉から似たような響きの言葉を連想する能力がどんどん発達してくるらしい

「おやじギャグ」はおやじの脳の暴走だった?~チコちゃんに叱られる! | 50男の気になるキーワード (takumi-inv.com)

 

あーあ、何も脳の方までおやじギャグ言いたがらなくていいのに。

なんとも困ったものである。

 

おやじギャグばかり言う人間に幸あれ

 

おやじギャグを言う人間は社会からそれほど良い印象を抱かれてはいない。

それもそのはず、おやじギャグを言う人間はおやじギャグを放たれた人間側の気持ちへの配慮に欠けているから

見事におっさん論理である。

 

しかし、おやじギャグを言ってしまう心理は少しだけわかる。

思いついたおやじギャグ、速攻で口に出したいよね。

私もすぐツイッターで呟いちゃうもん。

 

つまり、これが許されるどうかはともかく、おやじギャグを言う人間っておやじギャグを放たれた人間側の気持ちを考える前に思いついたおやじギャグが口に出ちゃっているんですよ。

例えるならば暴走乾電池。

法学的に言うと規範に直面する前に実行に移している状態。

故意責任を問えないねえ、わたし無罪!

 

まあ、お前は我慢ってものを知らねえのか!!と言われればそれまで。

重過失犯。おやじギャグを言う人間サイドは全面降伏するしかない。

 

ってなわけで、わたしとしてはおやじギャグを言う人間に幸あれという気持ちなのである。

悪気はないのは知ってるぞ、おやじギャグを言う人間。

ちょっとだけそこに気を付ければみんな楽シイタケ!という話なのである。

 

さいごに

 

おやじギャグを創作と表現するのは、創作活動を生業にしている人間に対し失礼か?とも思った。

しかし、おやじギャグを創作ではないと表現するのはおやじギャグ側に失礼ではないか?とも思った次第。

まあ、考えてみたら創作を生業にしている連中なんておやじギャグなんか眼中にないか。

いらねえ心配。そりゃそうか。

 

あ、ちなみにわたしがTwitterで呟いたおやじギャグは、

「おーれーはじゃいあーん!かえりたいよう...。」 

と、いうもの。

 

意外と面白いのでは?全然意味わかんないけど。