おもんないツイートの謎の中毒性
TwitterっちゅーSNS、呼んでもねえのに魑魅魍魎どもが集まってくるヤバいプラットフォームだってことは言うまでもないけど、そんな魑魅魍魎たちが私には愛おしくて仕方がない。魑魅魍魎かわいー!となる。
魑魅魍魎とは一言にいっても、その内実はその名の通りピンキリで、めっちゃ面白い人間がいたり、めっちゃおもんない人間がいたり、まちまちである。
まあ正確に言うなら、めっちゃ面白いツイートをしている人間とめっちゃおもんないツイートをしている人間なんだろうけど。
この点、Twitterには「ミュート」とか「ブロック」とか機能は違えど、結果的に自分のタイムラインからおもんないツイートをする人間を排除する機能が備わっていて、精神衛生上、とてもよい。
実際、わたしもこの機能をよく使っている。快適な空間ってのは自分で創出するものなのだ。ついったー最高!!本当に気が利くな!!
でも、これ私的にめっちゃ謎で多分、みなさんも思ったことあると思うんですけど
おもんないツイートって謎の中毒性がありません?
少なくとも私は、ミュートまたはブロックをしているアカウントを「どんなツイートしてんのかなー?」と定期的に見にいってしまう。
おもんねえはずなのにな、何でだろう。え、これってあるあるですよね...?
何でだろう?と思った時点で私の負け。おもんないツイートの謎の中毒性について考察を加えなきゃならない。
けど、やっぱりこの現象がわたしだけだったら本当にどうしよう、やっぱり不安である。
「おもんないツイート」とは
おもんないツイートの謎の中毒性を考察するにあたって、まず避けて通れないのが「おもんないツイートってまず何なの?」と、いうことである。
ここは、正直に言おう。
お前がおもんないと思うツイートこそ、おもんないツイートそのものなのだ!!!!!
とまあ、これは半分冗談のつもりだが、半分真剣でもある。
というのも、 「何をおもんないとおもうかなんて人それぞれじゃん!」とかいう巷でよく聞く言説を持ち出すことは当然できるし、実際そうだと思う。
だけど、この中毒性の話をするにあたってミソなのが
「おもんないと思うツイートの具体的な内容は人それぞれだとしても、おもんないと思った各人はみんな同じような行動、つまり各人それぞれが思ったおもんなツイッタラーを定期的に見に行ってしまう」
と、いうことである。
まあ、簡単にいえば、おもんないツイートの中毒性を語るに当たって、おもんないツイートとは何か、具体的な内容を論ずる必要はないってことですわ!避けて通れた!!ミソありがとう!!!
「中毒性」とは
先ほど「おもんないツイート」とは何かを具体的に論ずることを避けた結果、「謎の中毒性」の話は多少なりとも頑張らないといけない。
何がミソありがとうだ、朝三暮四。
頑張る前にまず中毒性の話。中毒性という概念における「中毒」とは、
生体に対して毒性を持つ物質が許容量を超えて体内に取り込まれることにより、生体の正常な機能が阻害されること
をいう。
これは2020年11月17日時点のWikipediaにおける「中毒」のページから引用してきた「中毒」の定義である。
(だけどまあ、世界各国の誰でも随時編集が可能なWikipediaからの引用ということで、あんまり当てにしないでしないでほしいんだけど)
ってことは、中毒性ってのは簡単にいうと、
自分の生体に「毒」だとわかっているにもかかわらず、その「毒」の摂取を自分の意思では止めることの出来ない状態
を指すということになる。
おもんないツイートは「毒」だ。
だって、そのツイートおもんないんだから。わたしたちの生体にとってマイナスの影響を及ぼす、当然である。
それじゃあ、次に話さなきゃいけないのは、なぜ「毒」だとわかっているおもんないツイートの摂取を、わたしたちは自分の意思で止めることができないのか?という話。
「謎の中毒性」の正体についての仮説
結局のところ、「謎の中毒性」の正体っておもんないなーって感情が不快にとどまらず、一種の快感に変わっていることにある、とわたしは思うんですよね。
おもんないなーって感情が不快から快感に変わっている、という私の説には幾らか説明が必要ですよね、一見矛盾しているように聞こえるし。
つまり、おもんなツイッタラーのおもんなツイートを観ることによって、わたしたちは「お前おもんないなー」と思うのと同時に、「おもんないお前よりわたしは面白い人間だなあ」と感じているんじゃないかって。
おもんない人間を利用して自己のアイデンティを確立しているというわけ、醜いっちゃ醜い。
しかも、おもんなツイッタラーのすごい所って、四六時中おもんないところなんですよ!人の面白さってそう簡単には変わるもんじゃない。四六時中おもんな供給所。
わたしたちはおもんなツイッタラーのおもんなツイートを覗きに行くことによって確実に「わたしは面白い人間だー!やったー!」と感じることができるってわけ。なんてコスパがいいんだ、おもんなツイッタラー。実質ポケセン、いつでも回復ができちゃう。
これが謎の中毒性の正体に関するわたしの考察もとい仮説。
遺伝的な要因やら環境的要因やらは全く知らん。
さいごに
何かふと気づいたんだけど、わたし「おもんない」という言葉をただ使いたいだけの人じゃね?コイツめちゃめちゃ「おもんない」って単語しゃべるやん...、となった。
仕方もない。紛れもない事実だからである。
シンプルに面白くないって言葉が固く聞こえたから、ちょっくら崩した言葉を使っただけ、身も蓋もない。
兎にも角にも、謎の中毒性に心当たりのある方は、早急に自己のアイデンティの確立を図るとよいんじゃないんですかね?自戒をこめて。
面白ツイッタラーになりてえなあ。