なぜ中学生はクソダサい中学のジャージを着て出歩くのか

先日、中学のお友達と平泉の中尊寺に行ってきた。

車で約1時間半。ドライブ楽しい。金色堂すごい。

中学の友達は同じクラスでサッカー部の同期。俗にいう青春を共にした仲間ってヤツである。

 

中尊寺には、学ランやらセーラー服を着た若者が沢山いた。

ガイドさんに軽口を聞くお調子者キャラであろう男子、前の集団に追いつくため奥の細道をキャッキャと駆け抜ける女子、集合写真撮影をダルそうに待っている不機嫌そうな男子など、様々な若者たち。

ははーん、これは修学旅行生で間違いはない。

 

彼らは誰の目から見ても明らかなほど、浮かれていた。

無理もない、彼らは修学旅行という学生時代最大級の特大イベントの真っ只中なのである。

 少なくとも、院にはあんなにキラキラした人類はいなかった。えーん。

 

そんな若者たちの姿を見てしまえば、自分らの学生時代を思い出してしまうのも自然な流れ。

わたしたちは帰り道、学生時代にまつわるエトセトラでまあ盛り上がった。

そんな中の信号待ち、街中でたたずむ制服姿の女子高生を見ながら友達はふと、こんなことを言い始めた。

「なんで中学生って私服でも中学のジャージ着るんだろうね。」

 

なぜ、街中の制服姿の女子高生を見て田舎のジャージの中学生の私服を思い出す?全く符合しないじゃん。

だけど、わたしは大きく頷いてしまった。

 

中学のジャージは機能性全振り。デザイン性皆無。ダサい。

これはわたしの地元に限った話では無いと思う。

仮に大学院時代に大学院ジャージなるものがあったとしても絶対に着歩かない。

なんだ?大学院ジャージって。

 

しかし中学生は、さも当たり前かのように中学のジャージを着て出歩く。

そのダサさについて何も気を留めないまま。不思議なものである。

 

思ってしまったのなら仕方がない。

そういわけでわたしは、なぜ中学生は中学のジャージを着て出歩くのかについて考えてみることにする。

 

え?気になるよね?みんな大丈夫?

 

 

中学生には金がない

 

まあ、一番の理由はコレだと思う。誰でも思いつく。

中学生は金が無い。私服を買えない。他に選択肢がない。

よって、中学のジャージを着るしかないと。

 

でも考えてみれば、中学生にもそれなりのはある私服は持っているはずである。

女の子たちと遊ぶ時とか地元の祭りに行く時とかにも中学のジャージ着てた?

わたしは着てないよ。だって、勝負時くらいカッコつけたいじゃん。え?これ私だけじゃないでしょ?

 

そう、中学生も中学のジャージ以外の私服は持っているにもかかわらず勝負時以外の普段時、私服は選ばれないのである。

中学ジャージ、どんだけ汎用アイテムなんだよ。

 

だから、お金が無いという理由は中学生が中学のジャージを着て出歩く理由としてあまり核心をついていないように思う。

そもそも私服なる物、幾らかは両親から買ってもらう機会あるでしょ?

 

そういうわけで、私たちは他の理由を探さなければならない。

わたしは至って、真面目である。

 

わたしの中学のジャージがダサくない可能性

 

何度も言うが中学のジャージはダサい。

なお、わたしの中学のジャージは深い青をベースとして蛍光色エメラルドグリーンの太めのラインが入ったタイプ。

まあ、他の地元の中学のジャージと比べれば、幾分マシな方である。

 

幾分マシ...あれ?

もしかして私の中学のジャージだけがダサくない可能性もあるのか!?

と、一瞬思ったものの、それは無いと思う。

 

結局、幾分マシという話も地元の中学ジャージの中ではという限定的なお話であって、わたしの中学のジャージそれ自体を観察するとやっぱりダサい

現に高校になったら、中学のジャージなんて寝巻に使う以外ほとんどタンスの中に眠っていたわけだし。

 

ってなわけで、私の中学のジャージがダサくない可能性も切れることになる。

考えてみれば、隣の中学のヤツらも隣の中学のジャージ着てたわ。

 

中学生の気持ち、全くわからん。

 

みんな同じで、みんなダメ。

 

いくら中学生の気持ちを考えたところで、わたしは26歳。

多感な時期を生きる中学生の感性なぞ全くわからないし、中学生サイドもてめえなんかにわかってたまるか、という気持ちがあると思う。

 

そこでわたしは、自分が中学生だった頃の気持ちを思い出してみることにした。

あれ?何でわたし中学のジャージを着て出歩いてたんだっけ?

 

答えは簡単だった。

「みんな着ているから。」

デザインがくそダサいとか全然関係ない。

みんな着ているからセーフ。赤信号みんなで渡れば怖くない理論なのである。

 

そしたら、なぜ中学のジャージをみんな着ているのか?という疑問が新たに湧いてくる。

その理由は突き詰めると、きっと「先輩が着ていたから」なんだと思う。

中学生活における先輩ってのは後輩に対しものスゴい影響力を持つ。

先輩の当たり前が後輩の当たり前。運動系の部活であれば、なお当然である。

 

考えてみれば、流行のファッションってのも、流行決めるセンターみたいなところが決めた今年の流行をモデルなどのファッションリーダーが着こなし、それを雑誌などで見た一般人がマネをし、そのマネをしてお洒落になった一般人をさらに一般人がマネをするというトップダウン方式で社会に定着する。

 

あれ?中学生も同じじゃね?

先輩って実質ファッションリーダーじゃん。それを運動系の部活の後輩たちがマネをする。そして、そのマネをした後輩の同級生たちがマネをする、と。

あれ、いつの間にか中学のジャージをみんな私服で着るようになってしまった!

こんな流れである。

 

なお、運動部の同級生が持つ運動部に所属していない同級生に対する影響力もそれなりのものがある。

運動部の同級生って何かとクラスの主要キャラだし。

 

え?それじゃあ中学生活における流行決めるセンターってのは何だよって?

そりゃあ、先輩の先輩ですよ。

現時点で最高学年の先輩たちも、1年前は2年生で後輩の立場。

1年前は現在最高学年の先輩も後輩の立場でこのトップダウン方式に組み込まれ、中学のジャージが当たり前のファッションということを刷り込まれるのである。

 

無論、先輩の先輩も同じ。

先輩の先輩も、先輩の先輩の先輩の後輩なのであるから。

つまるところ毎年、同じ流れの繰り返し。

 

こうしてクソダサ中学のジャージが当たり前のファッッションであるという中学生特有の文化が脈々と形成されてきた、というわけである。

 

はーあ、みんな違ってみんなダメ。

 

さいごに

 

思い出してみると、中学のジャージをお洒落に着こなす方法みたいなものもあったな。

ズボンのすそを広げてみるとか、袖口を破ってみるとか、名前の刺繍を一部崩してみるとか、色々。

 

中学生特有の文化、やっぱり謎である。

これ、どこの地域でも一緒なのかな。普通に気になる。

 

とかいう私は、担任がサッカー部の顧問で生徒指導役みたいな立ち位置の先生だったから、ちゃんと真面目に着こなしていたよ。えらいね。

 

まあ、そんな勇気もなかったんだけど。根が真面目だからね。