何でおっさん、あんなに嫌われてるの?

 

先日、わたしは高速バスに乗り東京へ向かった。

予約したのは4列シート。3列シートタイプとは違って、となりの席の人間との距離がめちゃくちゃ近いタイプ。片道3500円。お金ないね。

 

隣の席は、わたしよりも少し若いくらいの大学生かな?と思われる知らねえ男の子。

おかげさまで東京までの約5時間、少しだけ腰を痛めたことを除き高速バスライフを快適に過ごすことが出来た。

 

ここで私は思った。

あー、隣が知らねえおっさんじゃなくて良かったなって。

知らねえおじさんが何かしたわけでもない。

別にトラウマだってありゃしない。

だけど、知らないおっさんが隣ではない事実にわたしは確実に喜んでしまっていたのである。

知らないおじさん、とってもかわいそうなのである。

 

考えてみれば、おっさんとかいう生物、何かと嫌われがちな生き物である。

 

しかも、その理由はおっさんだから。

知らないおっさんに対してもマイナスの感情が湧くんだから、おっさんが嫌わている理由はおっさんがおっさんの見た目をしているから、ということに他ならない。

おっさんカルマ、なんて不条理なんだ。

 

なーんてことを考えていたら、わたしは怖くなった。

わたしは26歳、あと20年も経てば勝手におっさんになる。

 

いやだ!なぜ歳を取るだけで勝手にそんな不条理カルマを背負わなければならないんだ!そんな義理はねえぞ!!!

 

というわけで突然も突然だが、わたしはおっさんを救ってみることにした。

おっさんを救うことは、将来の自分を救うことにもなる。みんなハッピー!

お節介といわれてもやめないもんねー。べー。

 

そいうわけで、まず手始めにわたしは、
おっさんが嫌われている理由を考察することから始めてみることにした。

理由が明らかになれば有効な救済策も立てられること請け合いである。

  

 

まず、おっさんって何よ?

 

おっさんが嫌われている理由を考察するに当たって、まず最初にすべきことは「おっさん」って何よ?という疑問に応えることである。

 

おっさんとは、デジタル大辞泉によれば、

おじさんの音変化であり、中年の男性を親しんで、また、軽く見て呼ぶ語

 を、言うらしい。

 

は?このくらい知ってるわ!!!

 

何の説明にもなっていない、形式的な説明である。

まあ、仕方もない。デジタル大辞泉はおっさんを救うために用意されたのではない。当然である。

 

しかし、わたしはおっさんを救うためには、おっさんとは実質的に何か?という問いに答えなければならない。

つまり、おっさんを表層的ではなく深く理解することによって、初めておっさんを救うことが出来るではないか?という算段である。

 

 ...おっさんを深く理解する?なんだそれ。

 

まず、おっさんって何よ?改

 

おっさんを深く理解するにあたって、手始めにわたしがなぜ、高速バスの隣がおっさんじゃなくて良かったのか?ということを考えていきたい。

 

考えてみると、理由はシンプル。

おっさん、だいたい挙動がうるさい。

 

おっさんって何かと挙動がうるさいんですよね。

極めて狭い高速バス内でめちゃくちゃ動くし、音をたてる。普通にイライラしちゃう。

もっと言うなら清潔感がないし、ナゾの匂いがたまにする。意味がわからん。そんなイメージ。

 

あれれー、おかしいなあ。

わたし、本当におっさんを救えるのか不安になってきたぞ...。

 

まあ、本当に救えるのかどうかは兎も角、

隣におっさんが座るのが嫌だった理由をつき詰めると、

他人(今回はわたし)への想像力を欠いた行動を採ることに対して嫌悪感を感じていたんじゃねえか?

という、ひとつの仮説が立つ。

 

高速バス内では出来るだけ動かない、とか音をたてない、とか暗黙のルールがあると思うんだけど、

このルールの趣旨って平たくいえば、「他の乗客に迷惑をかける行為は出来るだけ慎んでください」っちゅーことに尽きると思う。

おっさん、このルール無視しがち。

ちゅーわけで、おじさんが隣に座るのが嫌であったと。

 

そんでもって、この他人に迷惑をかけないという暗黙のルールは、高速バス内に限らず社会一般でも通用するルールである。

そして、清潔感を保つとか、匂いに気をつかうとかは、自分の努力だけではどうにもできない側面はあるものの、ある程度のレベルまでは自分の努力でどうにか出来るんじゃね?という話。

 

というわけで、私の中で「おっさんって何よ?」という問いに対しては

他人への想像力を欠いた行動を取る人間

という答えに到達した。

 

おっさん、罪な生き物である。

 

何でおっさん、あんなに嫌われてるの?

 

何で?ってそりゃお前、

他人への想像力を欠いた行動を取る人間、普通にイヤでしょ。

 

おじさんとは何か?を実質的に考察したら、答えが自ずと明らかになってしまった。謎コンボ発生。

 

しかし、この考察によって明らかになったことがある。

それは、おっさんが嫌われている理由の本質は、他人への想像力を欠く精神性にあり、決して年齢を重ねているという事実のみに由来しているものではない、ということである。

 

これ、めっちゃ朗報じゃないすか?

ある程度は自分でどうにか対策できるじゃん!やったー!!

 

だけど、考えてみたら不思議なものである。

おっさんが嫌わている理由の本質は、他人への想像力を欠く精神性にあるにもかかわらず、おっさんは、おっさんという見た目をしているだけで社会から嫌われているのである。

これはナゼか。

 

答えは簡単。それはイメージである。

わたしたちの脳裏には無意識に、おっさんの見た目をしている人間は他人への想像力を欠く生き物であるというイメージが既に焼き付いてしまっているのである。

 

イメージはひとつひとつの事象の集積によって作り出される。

「関西人はおしゃべり」とか「九州人はおおらか」とかの一般的なイメージも、多くの関西人や九州人と接し、導かれた共通項に基づき形成されている。

 

おっさんの見た目をしている人間は他人への想像力を欠く生き物であるというイメージも、きっと同じである。

つまり、おっさんの多くはきっと、他人への想像力を欠く生き物なんだと思う。

 

そうであるからこそ、知らないおっさんに対してもわたしは(わたしに限らず)、「ああ、この人も、他人への想像力を欠く生き物である」という推定が働き、おっさん嫌い!という気持ちになっていた、というワケ。

 

無論、おっさんの見た目をしている人間すべてが他人への想像力を欠くという訳ではない。

しかし、多くのおっさんが他人への想像力を欠く生き物あるからこそ、おっさんが社会的に嫌われている!という話。

 

おっさん、連帯責任なのである。

 

さいごに

 

結局、世のおっさんはイメージに基づく推定を理由として嫌われているに過ぎないということである。

ほんと、あなたのせいじゃない。どうにだってなるよ、きっと。

 

それじゃあなんで、多くのおっさんは他人への想像力を欠く傾向にあるんだろうね。

 

正直、今のわたしにはわからん。

20年後になったらわかんのかなあ、全然わかりたくねえなあ。

 

こんなことを書いていたら、わたしは高速バスに乗っていた時、休憩所で購入した肉まんを食べたことを思い出した。

そういや、肉まんってめっちゃ匂いするじゃん。

 

隣に座った知らねえ男の子ごめん。

世のおっさんもこんな気持ちなのかな。